日記

日々を愛しています

赤ん坊も食わない

寝る前に日記を書こうとして、BGMに何かかけようとミュージックを開いた

でもいつまで経っても決められない

自分の知っているアーティストの中で、今の気分に寄り添ってくれる曲が見当たらない

戸惑ったけど結局マナーモードを切って、文字入力の無機質なフリック音をBGMに日記を書くことにした

最近日記を書いても投稿するまでたどり着けないものが多い

なんでかなと不思議に思いつつ下書きを眺めてると、下書きに留まる日記にはもれなく他人のことが書いてあった

好きになったAV男優の話とか、バンドの話とか。

もちろん日記だから、その人に対する自分の気持ちとか、主観的なものばっかりだから結局は自分のことについて書いているんだけど

やっぱり他人について自分の気持ちを書く時は、他人について何かを断言する表現がついてくる

勢いに任せて投稿しちゃえばいいんだけど、長くなれば長くなるほど書いてるうちに冷静になってきて、本当の本人をよく知りもりない私がこんなに人様に対して好き勝手断定してしまっていいのか。という疑念にぶち当たる

だからもう身動きが取れない

 

フィギュアスケートの中継を見ながら、簡単に人を見下す両親

「何も知らないのによくそんなに他人を卑下できるね。どんだけ自分が偉いんだよ」って、親の半分も生きてない、もっと何も知らない私が反論する。

そんな私の姿を見て、信じなれないといった様子で目を剥く両親

 

を妄想してすっきりする。変な癖がついた。何事もなかったかのように(実際何もない)自室に逃げて安心する。私は感情を相手に見せないことを良しとして生きているらしい。

風呂に入れと急かすために一階からたたかれる壁。鬱陶しい。

読んでいた本のキリが悪くてなかなか動かずにいると聞こえてくる母親の階段を上ってくる足音。鬱陶しい。

 父が入ったの後の浴槽には、食べ終えた油たっぷりのラーメンのスープみたいにいろいろなものが浮いている。

私は父親に抱き着けるし、洗濯物を別々に洗ってくれなんて反抗期は来なかった。ついでに、よくわからないものが浮いていようがラーメンの残りのスープは飲める。

でもどうしてもこの、ラーメンのスープは無理だった。コンタクトを外して、知らぬが仏作戦で浸かろうかとも思たっが、浴槽の蓋を開けたらすぐに、見える位置まで顔を近づけて、確認してしまった。湯舟に浸かって温まりたかったがあきらめた。

長風呂の私がとても速くでてきたことを疑問に思った母親の、お?だか、ん?だか区別のつかない、ちょっと笑いの含まれた端的な質問が鬱陶しい。何も言わない。ラーメンのスープの話はもう済んだことだし、いまさら言っても私の体があったまるわけでもない。

 

なんだかすごい間延びした日記になっている。後から見直してちょっと嫌になりそう。

そしてこの文章はさっき読んだ本の文体を意識したような。影響されやすい自分に気恥ずかしさを感じる

私はどうも、奇跡も夢もない、事実が淡々と描かれる、曇った日の路地裏の室外機みたいな小説が好きらしい

そして何もなかった一日に、フィクションで描かれる誰かの生活を、自分の生活に重ねて充足感を得る。一日を過ごしたはずなのに、昨日から1ナノも成長していないことは見なかったことにして。

本の感想とか書けたら、それが一番良いんだけど、私なんかが意見するなんておこがましいし失礼だって思う。そう思うのが一番偉そうだとも思うけど、私はただ感想を言葉に落とし込める語彙力に自信がないから逃げている。感想文は小学生のころから苦手だった。

 

何がじゃあね、だ。自然を装いすぎて逆に不自然だろう。過去から逃げているように見せかけて、過去にすがっているのは私のほうなんじゃないか。じゃないかなんて曖昧な表現を使って逃げていることが、これが事実であるということに嫌でも結び付く。

話しかけることはできないけど、話しかけて欲しかった。でも話しかけないでオーラを出していたのも事実だ。私は彼と向き合うのが怖い。付き合っていた頃も、向き合っているように見せかけていつも横を向いていた。

汗が乾いたのか、柔軟剤なのか分からない彼の懐かしい匂いに気おされて座った始発電車の端の席は、嫌に狭く感じられて身動きも心動きも取れなくなった。私は気持ち悪い。ただ気持ちよくなりたいだけだったのを見透かされているように感じてしまうほど彼はそっけなかった。自分は浅はかな人間だ。気持ちが悪い。なんで君は煙草を吸い始めたのか。理由に自分がいるんじゃないかって半ば確信をもったのも、聞けずにただ勘違いの優越感に浸る。

 

LINEしたくなるのをぐっとこらえている。ここで送ったら負けなのだ。時間が感情を薄めてくれるのを待つしかない。私はこれ以上彼に関わってはいけない。