私の友達で、ずーっと喋ってて、要領良くて、愛想良くて、誰もが大好きな子がいる
よく遊びに行ったり飲みに行ったりしてるけど、1対1で話してみたくて飲みに誘ったら「他に誰誘いたい?」って聞かれたから折れそうになった
別に誰かに聞かれて困るような話はしないけど、3人以上でいると急に喋れなくなる。これはずっと困ってる私の性質なんだけど。複数に向けて喋っていると途中で、例えば教壇にたって発表する時みたいな、妙に自分を俯瞰してしまって、「あ、今私『喋っている』な」とか、声量ミスったなとか考えて上手く喋れなくなる。だいたい途中で自分が何を喋っているか見失いそうになる
まあいい。
初めてふたりで飲みに行きました
想像以上に気持ちいいくらいに芯が通っていて、強くて弱い普通の人だった。安心した。
「バカから幸せになっていく」っていう激つよ言葉が、その子から出てきて最高だった。いい日でした。
私の友達で、当時「俺は人に迷惑をかけないように生きてるからね」って言ってたのが、なんだかとても印象に残ってる高校の部活の同期がいる
世間一般に言う特別な感情がある訳じゃないけど、この人はきっと私と似たような温度で世界を捉えているなって、その時からなんとなく彼は私の「安心」の人だった
なんかずっと前にも書いた気がする
久々にLINEしたら年始に実家に帰ってくるらしいので飲みに誘った
私たちのテーブルだけいつまで経っても何も出てこなくても、「ニワトリなかなか捕まえられないんだな」とか、接客バイトしてる時のありえない自分のバグを発表しあったりしてた
流石にって、お通しだけで2杯目を飲み終わって、3杯目頼むときに店員さんに聞いてみたら、やっぱりオーダー通ってなかったらしく、店員さん去った後に「かわいそー」ってハモった
帰り道にこの間家族でファミレスに行った時のことを思い出した
「間違いは指摘するべき」も、別にいいけど
ただ、私は"こっち"に安心する人間だっただけだ
正しいとか間違ってるとかより、私は私の安心に安心する
でも安心してるだけじゃダメだな、もっと色んな人と関わろうと思った。
いい日でした。
そんないい正月休みが終わって仕事が始まった週、年が明けたからって特に何か状況が変わるわけでもなくコミュニケーション不良が続いて、そのまま感受性バグのターンに入った
電車で近くにいる全く知らない人たち全員に、私と同じように何十年という人生があると思ったら気持ち悪くなって涙がじわっと出てきた
今回の生理の最初が週末に重なってくれて助かりました
もう既に血が出ていようが、それを確認するまで全然平気なのに、血を見てしまった瞬間お腹が痛くなるので、やっぱり感情と体調は繋がっているよな
お腹痛すぎて気失いそうになりながら会社出たのに、帰りの電車で元気になるやつと一緒
久しぶりに、幼稚園生の頃に潔癖で、遊びたいおもちゃにも、買って欲しいお菓子にも、外のもの全般に触れなくなっちゃったときに、何回も何回も母親に「(触っても)大丈夫だよ」って言って貰ってたという話題になって、
私がこんなにも「大丈夫だよ」って言葉が欲しいのって、これがあったからかも、とふと思った
誰かに言ってもらう「大丈夫」は、私にとってデカめの意味があるのかもしれない
自分で自分に言う「大丈夫」にも、ちょっとだけおまじない要素があるかもな
推しは推せる時に推せ、とか、生きてるうちに親孝行しろ、とか
犬が生きてるうちにいっぱい遊んであげたいとか、
結局口で宣言するのは簡単だけど、どんなに推していようが、どれだけ親孝行しようが、どれだけ遊ぼうが、
あの時もっとこうしていれば、は必ず残ってしまって、
じゃあどうしようって、それが消えてしまう前にそれを自分の中でどんどん薄めていくのが1番悲しくないんじゃないかなって思って悲しくなった
後悔しようがしまいが、全部全力で愛してあげられたらいいのにね
もしかして人生の正解って死ぬまで、いや、死んでも分からないんですか?