日記

日々を愛しています

鳥の巣

高校の時の友達と花火に行った。

 

私は中学、高校、と属するグループのカーストに大きく差があった。

簡単に言えば1番上と、下から2番目くらい。

スクールカーストなんて今考えると馬鹿みたいだけど、どれも今の自分の性格に大きな影響を与えると思う。

 

中学時代の私はバスケ部に入っていて、周りに合わせてたくさんの人と関わって、そして自分より下のグループにいる人を自分たちの生活から排除して生きてた。そして自分が仲間外れにならないように必死だった。そんな人間だった。誕生日には先生の目を盗んでクラッカー鳴らしてうるさく友達を祝ったし、祝われた。先生もだいたい友達みたいなものだったし、彼氏だって友達の元カレみたいなこともわたしの周りではよくあった。好きでもない人とノリで付き合ったりもしていた。ノリが全てだった。

そんな中学生活をすごし、私は高校生になった。そして自分の中身の無さに絶望した。私の高校はそれなりに偏差値もあって、私服校。そして何より校則がないというイレギュラーな学校だった。私は同い年で初めて尊敬できる人に出会ったし、今でもそれは変わってない。その人達は今、シンガーソングライター、アイドル、デザイナー、ウェブライター、いろんなことをやっている。

カーストの話から逸れてしまった。

何の信念もなしにその高校に進学した私は、春休みのバスケ部見学で周りの同級生の上手さややる気に圧倒され、すぐに部活体験には行かなくなった。そして逃げるように弓道部に入部した。今思うとこの決断が私の人生の岐路のように思える。まだ20年しか生きてないんだけどね。

私は弓道部に入ってから、周りにテンションに無理に合わせなくても人と一緒にいれるコミュニティが存在する、ということを知った。みんな性格の違うお互いを理解できないからと言って排除することは無かった。お互いに理解できないことも多々あっただろうけど、私たちはもっと深いところでお互いを認めあっていたような気がした。

一緒にカラオケに行けば、ジャニーズとアニソン、ボカロ、流行りのJPOPなどが順不同に歌われ、今思うととても混沌としていた。みんなが歌っている曲を私は八割も知らなかった。それでも退屈することは無かったし、むしろ楽しかった。

今だって2ヶ月に1回くらい会う機会を設けている。日付を決めて、予定空けておいてねっていってもバイトを入れる人があとを立たないし、全員揃ったことなんて1度も無いけど、それでも全然来ないからといって次回から誘わないなんてことも無い。来てくれたら嬉しい。久しぶりに会っても、口下手な私でも言葉につまることもない。恋愛だの進路だのパーソナルで下世話な話もしないし、付かず離れずみたいな関係だ。私はこれが心地いい。彼氏だって高校時代3年間ずっと同じ人だった。まあこれも私の人生を大きく左右する存在だったんだけど。

また話が逸れた。

そんな弓道部の中にいた私も、ひとたびクラスに出ればただの一人ぼっちだった。入学してすぐの泊まりがけのオリエンテーションでは、同室の人に置いてかれて、あとから1人で大浴場に向かった。楽しそうなクラスメイトをよそに、湯船に浸かりながらずっと涙を堪えていた。クラスの男子なんて一言も喋ることなくクラス替えになった。クラスの中心になってる女子が、昼休みみんなからハッピーバースデー!!って歌われてて、うるさいってイライラしてたし、先生に義理チョコ〜ってへらへらしながら渡してるヤツらに反吐が出た。Twitterで彼氏自慢してる奴が別れた時は心からのざまあみろをお見舞した。まるで全部中学校時代の自分を見てるようだったから。私は帰りのショートホームルームが終わると1番に教室を飛び出した。ただ道場だけが私の逃げ場だった。

大学にはいって、また中学時代の自分が出てきたような気がする。圧倒的に女子が少なくて、一緒にいることを選べる人も限られていた。合わなくても一緒にいるしかない。

どうしたって私は一人で生きていくことはできなかった。

ほらまた明後日からはマウントを取り合い合戦が始まる。

しまってこー、