日記

日々を愛しています

アートヒット

誰かとの約束も、バイトも学校すらもなくて、今の自分が何なのか、だんだん分からなくなってくる

どこにも属してない、どこにも責任はないけど求められもしない今状況は、ずっとどこかで望んでたはずなのに、このままでいたら自分がどんどんやばい状況になってしまうのはうっすら分かる

一日中布団に籠って映画を見る

 

マイ・インターン」をみて、主人公が亡くなった奥さんを指して言った「軽やかに生きる人」っていうフレーズに妙に惹かれてしまって。

ああこれ、人生の目標にしたいなって思ったんだけどさ、実はこの日記の前半は父親への呪詛みたいなもので構成されていたんだよね

消しちゃったけどね。

「軽やか」の解釈は違うかもしれないけど、多分そうでは無いのはわかる。嫌いなものに囚われることでは無いのはわかる。好きなものだけっていうのも私には無理だから、何事にも中庸であること、で今のところはいいかな。

 

明日からも頑張って自粛しようね。

朝起きて、カーテンと窓を開けて、顔洗ってコンタクトつけて、髪の毛とかして、元気に自粛しようね。

良くない時期の誕生日だけどね

こんな状況ですら、自分より大変な人たちに楽しませてもらってるのなんなんだろうな

インスタライブを見るたびに複雑な気持ちになる

 

複雑な気持ちといえば、なんとなく気になってた「平成くん、さようなら」を読んだんだけど

あれほどに実在する団体、人物に一切の関係しかないくらい個人名もブランド名も出てきたのに、全くと言っていいほど登場人物に親近感が持てなかったのはなんだったんだろう

安楽死が認められている世界」なのが原因なのか、ただ単に「タワマンに住んでて洋服を使い捨てる人間」が自分からかけはなれすぎていたのか、

色々考えたけどたぶん「古市さんだったら安楽死の制度についてなにか決定的に言い切るんだろうなっていう期待」が多分要らなかったんだよな

結局あれはフィクションの小説であって、楽しむためだけの虚構だったことにしておこう

安楽死についてめちゃ考えさせられた」という意見の人もいるんだから、私が存在してても別におかしくないね、分かんないけどね

 

私が22歳になっても世界は相変わらずで、

こんな時だからこその「死にたい」に、「生きたくても生きられない人が〜」云々言う奴は一定数いて、それに関しては「うちはうちよそはよそ」理論を貫いてきたけど、

私は多分今、幸せな部類に入る

多分ね

 

みんなにありがとうを

ルネサンス

21年生きて、後悔する選択の方が圧倒的に多くて忘れがちだけど

あの高校を選んだのは、きっと今までの人生で1番の挑戦で、後悔は1ミリくらいしかなくて、胸を張って言える過去の1つで、

何年経っても、きっといつまでも私は浦和に向かう

 

募る話、なんて嘘じゃん

久々に会う友達のことなんて日々考えて生きてないんだから話題なんてある方が嘘くさい

でも突然第五人格をやり始めて黙る友達をよそに、勝手に唐揚げ頼んで笑われて、また一緒にポツポツ話し始めるような、そんなので私は満足できてしまう

 

中学の時読み漁ってたシリーズの新刊が出たから買って帰ろう

嘘みたいな本当の話、私に奇跡なんて必要なかった

良い週末を

ニュートリノ

無限に眠れるし、無限に食べれる

おかげで夜は眠れないけど、お腹は今も空いてる

 

「それって趣味じゃダメなの?仕事にする必要ある?」

たった一言でまたふりだしに戻る

答えられなかった

もう行きたくないな

 

自己PRを書く度に心が痛い

いい所なんてひとつもない

できるだけ本当の事を書いても、よく見えるように直されると嘘をつくことになってる

 

小さい頃からしつこいくらい書かされてきた「将来の夢」って、実はすごく大事な人生の指標だったんだな。大切にしてあげられなくてごめんね。

コロッケ食べたい

コロナに対する他人の意見なんて糞食らえだっていう自分の意見をつらつらと書き連ねた原稿用紙2枚半分の文章は堂々のお蔵入りを果たして

一周回ってもうどうでもよくなった

幕張のライブがなくなったのはもうしょうがないとして、ただクリープハイプの誠実さにまた魅せられてしまった思い出だけが残る

全てのことに正解なんてないんですよ。あるなら教えて欲しい。

どうにかしてそれを不正解にしてやる

まあ自分がこんなことしてる場合じゃないって言うのは紛れもない正解です。

ES修正します。

ものすごく身勝手な感想なんですけど、

中学のときバレー部のキャプテンかつずっと学年5位以内の頭の良さで、女の子と話す時はなんか少し緊張してて、某私立大学附属に一般で受かった、私の「いつも楽しそうに笑ってるところが好き」と告白してくれた元彼は、大学に入ってお酒の飲みすぎで救急車で運ばれたことをTwitterで自慢してて、あの、誰もが同じクラスになりたかった王子様の面影はなくなっていた。

まあ私は、人前であまり笑わなくなったしお互い変わったなーと思いつつ、そいつの周りには可愛い女の子がいっぱいいて、完敗ですね。

私とコップと鈴と

どこかの短編映画で、感情をコップ一杯の色水で表現してたのを思い出す

私のコップがあるなら、きっとそれはそんなに大きくなくて、いつもなみなみだろう

少し動いただけで、少し注がれただけで、すぐに溢れる

格好が悪い

多分私は他人にこの格好悪いコップを見せないことに必死で、それは今までの人生では概ね成功しているんだと思う

卒アルの寄せ書きとか、部活を引退するときにもらった色紙とかに大体「クール」って書かれるのはたぶんこれが原因だろう

ただいくら気をつけていても人前でうっかりこぼしてしまう時がある、けっこうある

でもこぼしたのがバレてもいいやと開き直ってバレたのは実際2回で、2人とも私のコップの不格好さを笑ったりしなかった

なんか気持ちの悪い例えばなしになってしまった

もっと大きなコップを買いに行こう

 

なりたい自分と、身の丈に合う自分に180度の違いがあって、一歩が踏み出せない

「やりたいこと」と「働きやすさ」、どっちがいいかを誰かに決めてもらおう、なんてことをたぶん思ってた、ダメになったときの言い訳にするために他の人を利用するのはやめなきゃいけない、変わりたい

将来なんて何も見えずにとりあえず受験した3年前から一歩も進んでなくて、でもそれもそろそろ決着を付けないといけない