日記

日々を愛しています

コスパ

人生って色んなことが起こる

 

これから!って感じだった、好きなコンビが突然解散した

何となく流れると思っていたけど、会社が埼玉に移転する

退職届を提出して返されてから、1年が経とうとしている

私が誰かを愛おしく思い、思われている

 

大学1年の頃から、私が1番仲がいいと思ってた友達に「実は一緒にいてしんどかった、心当たりがあるなら謝って」と伝えられた

胃がひっくり返るかと思った

心の波があることは、私もこの通り経験があるので分かってはいるけど、この7、8年をまるっと否定されたみたいでひざの力が抜けた

 

生活は続く

 

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恋人ができてから、その存在が思考とか欲求とかそういうさまざまなものに取って代わった

うっすら死にてぇとか、将来への不安とか、上司への不満とか、幸せとか不幸せとかをいちいち考えることとか、出処の分からない焦りとか、

何かしなくちゃととりあえず使ってたお金とか、持て余してた性欲とか、することも無くいつまでも寝ていた休日とか

そういうものがきちんと消化されるようになった

これが正しいのかなんてのは分からないけど、これが自然のような気がする

環境が180度変化したくせに、全く違和感がない

全然思ってもみなかったけど、私が目指すべき人生はこれだったのかも

知らなかった

 

 

ただ私は浮かれすぎなだけなんだろうか

恋人ができる前の私だったら、今の私を見てツバでも吐き捨てるんだろうね

 

 

ただ、これだけは認めたくなかったけど、ここに書きたいことがあまりなくなった

それだけ、それだけは私にとって大きな損失な気がする

私はずっとそうだよ

私は自分に対して「私はこんな人間」って思うことが多くて、

そう思う時ってそれはもう絶対的で、自分のことを全部分かった気になって自信が出てくる

逆に、なのかだからこそ、なのか、自分の中の「私はこんな人間」が揺るがされた時はとてもじゃないけど冷静でいられなくて、気持ちが不安定で落ち込む

 

とずっと思っていたのだけれど、今月頭に私の人生で1、2を争うかなりデカめのイベントが起こって

改めて、自分がどんな人間なのかは自分1人で閉じこもって考えるだけでわかるものでは無いな、と思ったりしてる

 

私は自分の気持ちを人に伝えるのをあまり良しとしてこなかったはずなのに、

こんなにも、相手にこの気持ちを言葉にして伝えたいなと思っている

誠実に、慎重に、伝えたいことが伝われば嬉しい

 

意志とは反して聞かされる音楽にむしゃくしゃすることはなく、流行りのJPOPだって聞けちゃうらしい

 

長年持て余していたこの「何かを愛したい」という思いが昇華されて、「あなたのことが好きです」を声を大にして堂々と伝えられる人がそばにいることは想像していたよりはるかに良い

私はずっとそういうのをバカにしてきた側の人間だけど、こういう「幸せ」も、私はちゃんと「幸せだ」と思えるんだな

 

このPC版のはてなのエディタにも「NEW春は変化の季節🌸」って書いてあるし

この変化が私にとっていいものでありますように

 

この間テレビで誰かが「何かを手に入れるときは何かを失う時」「逆もまた然り」みたいなことを言っていて、

まあ確かに、今の私にも、あ、失ったな、と思い出してふと泣いてしまうようなものはある

あるよ

 

でもどうにかこのまま、私がこの先誰といようが、今までの人生で手に入れた、自分が本当に大切にしたいものは捨てずに、誠実に、しっかり両手に抱えて生きていきたい

 

私は私であることをやめないし、私の人生も私の愛も、半分くらいしかあげないけどね!

という気持ちが、しっかり自分の中にあるうちはうまくやっていけると思う

そうやって自分にも誠実でいたい

 

25歳になってまだ1週間しか経ってないけど、滑り出しは好調です!

なんだったんだ

なんか下書きにきっしょい例え話みたいなのが書いてあって、幸せってウケるなと思った

嘘みたいに毎日なんとなく幸せだった期間が2ヶ月くらいあって、理由は分からないけどそれが落ち着いてしまった

それが始まった理由もよく分かってないんだけど

 

幸せでもなく、不幸でもなく、普通

 

雨が続いた歩きの帰り道、

幸せな私は雨が暖かくて柔らかくて、春だなぁって泣きそうになってた

次の日急に幸せから覚めた私は、真顔で、イヤホンから流れてくる音楽をつぶやくように歌う

 

今になって考えると圧倒的前者の方が不安定だろ

幸せってなんだよ

 

でもただ、季節を感じられる心は持っていた方が良いよ

私はそれを母に教わった

 

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自分の人生の当事者意識が低すぎることは分かってたけど、ちょっとだけ自分の人生を主観的に見ようとしたけどグロすぎてすぐやめた

 

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他人の言葉に影響されやすいし、正しく聞こえるし、気づきみたいなの得やすいんだけど

これってもしかして、自分以外がみんなすごいんじゃなくて、私が人の言葉に意味を見出しがちなだけなんじゃない?

 

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結局比例し続け、私の幸せは0突っ切って第4象限へ

久しぶりにやってきた憂鬱で、同じ柔らかくて細くて暖かい雨に当たっていても、このまま家につかないでどこか遠くまで行く途中ですっと消えてしまいたいとか、あと2、3歩歩いた後地面に倒れ込んで、そのまま地面と同化していきたいだとか

そんなことを考えていた

 

でももう小手先でもいいなら、どうすれば良いか知ってる

スーパーに行ってなんでもいいから食材を買って、帰り道に缶チューハイをごくごく飲んで熱々の湯船に浸かって、適当にご飯を食べて寝た

いくか迷ってたライブのチケットを買った(あんまり自分の憂鬱の左右を他人に頼るのは良くないけど)

 

雨は降ってるけど昨日のどうしようもない憂鬱の私はもう居ない

普通に戻った

 

絶対いつか終わると、幸せながらに不安だったハイな自分に大丈夫だよって言ってあげたい

私はかぼちゃを煮れば大体元気になる

ムーンパレスに光は差して

クリープハイプがやっぱり良かったって話をしたくて

 

誰だよクリープのライブはこれで最後とか言ってたの

幕張はやっぱりデカくて、メンバーは米粒みたいだったけど、演出と照明を俯瞰で見れて楽しめて、今の会社で働いててよかったなって少し思ったよ

 

そのままMVに出来そうな曲がたくさんあった

 

ムービングもLEDもかっこいいしおしゃれだけど、だからこそ

君の部屋でトラスが降りてきてParの生あかり多めの"ザ・ライブハウスの照明!"がたまらなくかっこよかった

レーマンのグレースケールのスクリーンとモノクロ照明とかも

パーライトがあるからムービングとかLED照明が輝き、逆もまた然り

幕張って幕張なだけある。でかいだけじゃなくて色んなことが出来てとても楽しい会場ですね

 

 

「緊急事態から約3年」から始まって、私にとってもそうだけど、この幕張公演はクリープにとってかなり強めに意味のあるものだったんだなと思った

 

「感動して泣いちゃうかもなんて思ってたけど、普通でした。普通の、幸せです。これからも普通にライブするので、また普通に来てください」

って

もう感覚がバグってしまったけど、こうやってライブを見てドキドキしたり、ヒリヒリしたり、そういう日常じゃない日がたまにくるのが私の日常だったな

 

エントランスホールみたいな所にフォトスポットがあったり、色んな催しがあって

そこではずっとクリープの曲が流れてて

入場前からワクワクが止まらなかったな

 

クリープなんてきっと、一生私を楽しませてくれる

 

 

他のイベントも被って駅で入場規制がかかっていて、そっちだと友達もほぼ帰り道が同じだったのでサプライズで実家へ帰宅した

 

母親との今の関係が本当に心地よく思う

ずっと話せなかったことも、私が今1番、言いたいことも言えるような相手かもしれない

 

なんて朝ぼーっと起きて、用意された朝ごはんを食べて、ぼーっと犬と3人でお散歩して、開いてる桜を探して、

午後には用事があるので電車に揺られて帰宅した

クリープシャッフルで東京日和、ねがいりが続けて流れてきて、ザ週末の穏やかな気持ち

 

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いろんなことを考えては忘れ、考えては忘れ

大事なことのように思えたことに気がついても、次の日には覚えてなくて

どうやって生きていけばいいか、全然分からないね

 

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えったった3年?て思ってしまうほどには強い気持ちで見たかったフリージアンのライブにやっと行けました

 

レモンキスタの曲を結構やってくれて、ニヤニヤして、

悲しみの全てが涙ならばでもうこれ以上は無いなって思ったのに、

遊びにおいでよのミラーボールで全部上手くいっちゃってとても良いアンコールでした。

 

フリージアン前の転換の時間になったら、40代くらいの仕事終わりのおじさんみたいな人が4、5人増えて、良かった

私も歳をとっても、ずっと音楽聴いていてもいいよって言われたみたいでよかった!

 

オープニングアクトの弁天ランドが良かった

名前から勝手に関西のバンドだと思ってたら普通に東京のバンドだったし、

ボーカル金髪、ベースロン毛だったので曲調とのギャップににっこりしちゃった

目当てにしてなかったバンドを好きになって帰ってくるこの感覚も久しぶりだ

 

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明日は土曜出勤で、雨で、寒くて、バチくそ気分落ち込みそうだけど大丈夫?

 

って思ってる時はだいたい大丈夫なんだよな

分かってる

昨日のライブはとても良かったし、今日は高校の変なメンバーの飲み会が良かった

 

足掻け!!

 

 

 

 

新しく買ったカーディガンを会社に着ていったら、1番好きなバイトさんに褒めてもらっちゃった🫶

肯定と祈り

ポジティブに慣れない

明日には急にふっ、と前の自分に戻っているかもしれない、という不安を感じる瞬間がある

 

誰かを愛す前にまずは自分を愛せよと思い至って5年くらい経って、ああもう一生無理かもなと思ってたのに、

急に、多分これがMAXの自分への愛だな、と感じている

あれだけ不幸だと思ってた私の周りの環境はなんにも変わってないのに、そのままで無双状態に入っている

日々が愛おしい

かかってこい

 

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同じ建物の住人と帰宅のタイミングが被ってしまったので、そのまま家に入る道を通り過ぎた。そしたら目の前にお肉屋さんが現れたので、なんとなくコロッケを買ってみた

コロッケを食べるためにキャベツをせん切りしてたら急にお好み焼きが食べたくなって、それっぽいものを作って食べたらお腹がいっぱいになった

 

コロッケは今日の朝、食パンにキャベツと一緒に挟んで食べた

スクランブルエッグサンドも作った

お腹がいっぱいになった

 

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これから3年前に中止になった、クリープ幕張に行ってきます。

きっとこれが最後になるだろうけど、なるだろうからすごく楽しめるといいな。楽しみ。

その時行く予定だったこと行けることが嬉しい。

昨日の夜、風呂上がりにすごく暑くて半袖を適当に引っ張り出したら、初めてクリープをみたストリップ歌小屋のツアーTシャツが出てきた。

オタクが大好きな「最終回EDに1期のOP」みたいなことが起こってしみじみした

多分初めてのバンドのライブだったし、この時に私はクリープと銀杏、どっちも初めて見たんだよ

ありがとう、私の始まり

 

行ってきます

 

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愛したのはやるせなさも

私の部署は上司の一存で、1日の勤務時間が短い代わりに隔週で土曜出勤がある

入社してからしばらくはみんな休業とか時短勤務で、私は土曜出勤がカットだった

私にとって土曜出勤はまだ非日常、というかこれが日常になってたまるかという気持ちでこの土曜日を迎えている

 

今週は金曜夜にどうしても無理な気持ちになってしまって、どうしたらいいか分からないままご飯も食べる気持ちにもなれず、ただただぼーっとしてて、

このままじゃ(色んな意味で)終わる!ってとりあえず外に出た

15分くらい甲州街道を東に進み、山手通りを北上していく

色んなことを考えたり考えなかったりしてたら気づいたら中野坂上に着いていてウケた

電車で来るところに歩いていくのは、面白い

 

同じ道を変えるのも味気ないなと思ったのでそのまま新中野をぐるっと回って帰ることにした

 

自宅の周りは住宅街で、もうド深夜みたいな空気を醸し出して居たけど、中野坂上は人が多くて華金であることを思い出した

楽しそうなグループとしばらく並走(並歩)した

今思い返すと酔っぱらいと同じ速度で歩いていたら、ウォーキングとは言えないだろ

 

中野坂上から新中野まで歩いている間、突然目の前に現れた餃子屋の匂いにクラっと来てしまって、そういえばご飯も食ってねえなと松屋に入った

やる気があるのかないのか絶妙な店員さん

私が部屋に一人でいるうちも世界は回っているな、と実感した

 

光り輝くピーポくん

全員小走りの消防署

お腹が満たされてからは本当にぼーっとして歩いていたので、それくらいしか覚えていない

 

2時間弱歩いて帰ってきて、何も解決しなかったけど、とりあえずすっきりとした満足感を得られたのでぐっすり寝れた

 

日常にするつもりは無い

私の足掻きは続く

 

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「カネコアヤノがサブカル丁寧な暮らしというジャンルで消費されていて嫌だ」みたいないうツイートが流れてきた

気に食わない他人をジャンルわけして、私はこの人たちとは違うよってアピールは、しなくても大丈夫だよ、好きな音楽聴きなよ

カネコアヤノ自身が思う、カネコアヤノの音楽のジャンルに、自分が本当に入ってるかも分かんないんだから

 

ジャンルわけをして全体に悪意を向けてしまいがちの向こう側にも、自分と同じ、1人の「生活をしている人間」がいることを忘れてはいけないという自戒の話

それと単純に「「そんな層に消費されてたまるか」とか思ってる層」がカネコアヤノの良さが分かってたまるかよ、という私も同時に存在するという話

 

みんな好きな音楽を聴いて、踊って、生活を続けようよぜ

 

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a flood of circle

「理由なき反抗」は大好きで聞いてたんだけど、新譜がとても良いです

人となりを知っているわけでもない私にこんなにもド直球に刺さったのだから、ずっと聞いてきた人はどんな気持ちなんだろうか。

 

好きな音楽が繋がって、増えて、続いていくことが嬉しい

ゴールにたってるのって母親かも

予定の何もない週末に生理がぶつかったので、心ゆくまで穏やかに過ごしみた

ここ最近びっくりするくらいずっと外へ出てたり、人と会っていたので、ゆっくり出来た

 

最近「自分の幸せ」のご機嫌をとるのが急に上手くなったように感じる

 

「幸せのためにしたいこと」と「幸せのためにするべきこと」の2つがあって、

私は今まで前者ばっかり求めて頑張って、でもそれで得られる幸せって一瞬で、

でも実は幸せの土台になるのは後者で、「するべきこと」のうえに「したいこと」がないとダメなわけで

 

とここまで書いてき、何を当たり前のことを今更新しい発見をした、みたいに書いてるんだってなりました

するべきことをした上でしたいことをしてください、大人なんだから

 

この「幸せになるためにするべきこと」って、「しなきゃいけないこと」で、例えば、朝気持ちよく起きるために早く寝る、とか体調を崩さないように気をつける、だとか

なんかコーディネートが変だけど暖かい上着を着るとか(これは違うか?)

寒いけど窓を開けて換気する、とか

したい訳じゃないけど、みたいなことが多くて

経験上、2日間外へ一歩も出ないと心が死ぬ、から用もないけど商店街を歩く

とか

経験上、すっぴんでも出かけられるちょっとした買い物でもバチバチメイクした方がテンションが上がる

とか生きていけばいくほど分かるようになるんだと思う

 

これをずっと考えていたら、「もしかしてこれって母親にずっと言われてたことじゃん」ってなった

「早く寝ないと明日朝辛いのは自分だよ」とか「風邪ひくから靴下はきなさい」とか「用事がないからっていつまでも寝てないで起きなさい」とか

幸せになる方法はずっと教えて貰ってたのに、私はそれをしたくなくてうざいなーとか思って、案の定風邪ひいた時の母親のドヤ顔にさらにムカついたりして

もっと素直に生きてたら私はもっと早く幸せになる方法に気づけていたのかもしれないとか思ったりした

 

たぶんまだ母親について、気づけていないことがあると思う。私はこの特に何も無い人生でも生きることに必死で、20年以上1番近くで生きてきた母親について知らなすぎる。

 

早く手放しで「幸せ」って言いきれるようになりたい

貪欲

 

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新しい曲を聞いて、何度だって「やっぱりn-bunaさんの作る曲が大好きだな」って思うのに

楽曲を愛のない使われ方されたとざわざわしてる中で、誰かがスクショした、


作り出すこと以外、曲がどういう受け取り方をされようが、どういう使われ方をしようが興味がない


みたいな過去の発言にいまだにくらっている。

 


ナイフを振り回すみたいな自虐歌詞が、誰かにうっかり刺さっても、それには興味すらないのか

そういう曲を作ってる責任を持てってくれよ


私の、好きで、ずっと大切にしてる曲を生み出していることにもっと誇りを持ってくれよ


って「最低限の責任以外は取らない」つもりで生きている私が言うことではないし

そもそも彼はこんなことを考えている人間がいることにも興味がないのかもしれない

 

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卵を割ろうとしたら手からすり抜けて、流しの中に綺麗に割り入れてしまった

とっさに「鳥さんごめんっ!!!」って大声で叫んでしまい、何というわけではないけど私はまだ大丈夫だと思った。

 

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私の好きな人だろうが嫌いな人だろうが、その人の幸不幸と私の幸せは無関係でいたい

どちらも幸である場合を除いて

 

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好きな漫画の最新話も

他の人の気持ちも

自分の将来も

 

結局なーんにも分からん!!

 

どうしても必要になった時にちゃんと考えるよ!!

 

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ブックオフでバランス重視の買い物をした

 

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多分どっちも大事だよ

ナナメの夕暮れと岩井さんのエッセイもあったので読み終わったらまた買いに行こう