日記

日々を愛しています

あとがき

私はかなりものが捨てられない

あまり記憶力に自信がないので、ものとして手元に残して起きたかったのかもしれないし、ただだらしなかっただけかもしれない

かなりごみごみした部屋で生活していた

結論から言うと、捨てた

何となく飾ってあったガチャガチャのフィギュアとか、何となく思い出にとっておいた大学入試の問題冊子とか、とにかく私の部屋は何となくでいっぱいだった

そんな部屋でずっと、何となく生活してた

だからその何となくをとにかく片っ端からゴミ袋に詰めていった

それでさっさとゴミ袋のくちわ縛って次の日にゴミに出した、気が変わる前に

そしてとにかく忘れっぽい私は、何を捨てて、何を取っておいてあるのか、もうあまり覚えてない

取っておいてあるものも、もしかしたらもう要らないのかもしれない

 

そして楽天スーパーセールで今の私に必要なものをたくさん買った。

そんなもんだよな。人生は続く。

 

アウトプットの趣味がないから、何か探したい

 

彼氏が出来ると人が変わるんだよ、と何度も何度もお前にはまだ早いと含みを持たせて言っていた母親も、そろそろ心配になっている頃ではないでしょうか

でもいつも後から気づくけど、母親の言うことって結構正しい

私は人を好きになる前に私自身をちゃんと好きになるべきだし、誰かを幸せにしたいと思う前に自分がまず幸せでいるべきだと思う

これだけは本当にそう思う

 

日々において、正解が分からない

思えば私が理系に進んだのは、ほとんどの場合正誤がはっきりしているから、間違ってたとしても、自分があってるのか間違ってるのかはっきりと分かるからだ

文を読むのも書くのも好きだったけど、合ってるか分からないから本当に思ってることを書くのは怖かった

それに幸運にも、求められる答えはだいたい分かっていたから、それを書いていた

 

私が自分について人生について考えて、それで止まらなくなってどんどん深みにはまっていって

そんなことに果たして意味はあるのだろうか

それも分からない

 

生活の中の、調子のいい1割くらいで友達とコミュニケーションを取っている

少ない

 

相変わらず、見えない何かに追われている

 

でももし私が結婚式をするなら、お色直しでタキシードを着てみたい

あわよくば、相手が男性ならドレスとか着てもらいたい

面白そう

 

何回も思ってるけど、マイノリティだったりルッキズムだったり夫婦同姓で辛い思いしてる人がいて、

その人たちを救うための法律だったり考え方だったりって、別にそれ以外の人の不幸だとか不利益だとかに繋がる訳じゃないんだから認めればいいのに

「人の幸せが憎い」「自分と違う人は気持ち悪い」と思う人間じゃなくて本当に良かった

 

今日は、遂に上司の無連絡無言及遅刻の記録が1時間半の大台に乗りました

なにか縋り付きたい私の手はずっと空を切っている

コミュニケーションを諦めた私は甲斐性なしなのか、それとももう頑張り切ってしまったのか

 

どこにも正解がない