日記

日々を愛しています

私事ですが、この度

2週連続で結婚式に行った

姉と、大学の友人の

 

規模も、呼ばれる人も、立場も違うけど、とにかくそれぞれとても幸せな気持ちになり、

この場に呼んでもらえたことが奇跡のような、そんな何かものすごく特別な事のような気がした

私の大好きな人たちの、とても幸せそうな姿を見られることが嬉しい

 

友達の新婦に「余興何かやってくれる、、?」って言われて、嬉しくってヘラヘラしながら受けて、ビデオメッセージを作りました

素材はみんなで撮りに行って、

動画編集は自分がやって、

編集のユーモアで滑ったらいたたまれない!と思い、全部ひっくるめてみんなで作成しましたという体で

当日上映中私は前を向けず、こっそりとずっと新郎新婦(新郎も同じ学科なので知ってる人)を見ていたんだけど、それなりに笑って喜んでくれて、とても誇らしい気持ちになりました

この子の友人でいれて、とても嬉しい

 

姉は姉で、私に中座のエスコートをさせてくれて、なんかもう人生のボーナスタイムだと思った

この家でこの人の妹として生まれて、貰うには恐れ多いこんな権利も貰って、もう人生上がりですわ

普段飄々としてるのに、見たこともない緊張をしている父親とか、いつも少しのことで緊張して気持ち悪いっていってるのに、もう流れに身を任せて嬉しそうにしている母親とか

私の知らないところで姉と過した友人達の、姉を祝福する表情とか

その全部を見せてくれた姉にありがとうって思う

親戚も友人も会社の人も、みんな姉を祝うためにこの場にいて、姉がみんなに愛されている姿を見れたことがとてもデカい

結婚式の準備で大変そうにしてるのも見てきたし、姉が周りのために努力できる素敵な人なのは知ってる

私は次女だしヘラヘラ自分勝手にしてるから、私の方が楽して幸せそうに見られてるけど、本来はこういう人が、ちゃんと、こうやって幸せでいるべき

 

「次の結婚は○○(私)だね!」と声をかけられまくったけど、半年前までの自分だったら内心ムキーッだった

確かに結婚式はいいものだよ

結婚も、結婚式も、するか分からないけど、

これからもずっと、私は私なりの愛を恋人に、家族に見せていきたい

 

斜に構えるのはもうダサい、時代は「愛」だ!

せーのっ

とても大きな幸せを感じた直後なのに、私の心がこんなにガビガビなのは、自炊をしてないからだな、と、あるTwitterのアカウントを見て思う。

 

秋だ。

 

どっちも幸せが手に入るなら、努力する方向を見誤らないようにしたい

 

私がTwitterって言ったとき、律儀に毎回「Xね笑」ってお決まりのボケを返してくれる恋人と、恋人のそういう一定以上の冷たさに不安になる私と

 

Twitterと心中するってツイートしたけど、気づいたらすでにTwitterは死んでて、

トレンドを検索すれば、そこに普通の人間はほぼいなくて、情報の洪水というか、それはもうゴミの流れるドブで、

私は何がしたくてTwitterしてるんだっけ

と思っても結局消さないんだよ

 

Twitterを辞めた皆さんが、どうか健やかでありますよに

 

 

時速の新譜が良くて、ありがとうって思う。

仲川さんの持っている愛を、オギノさんから見えている人生を、言葉として自分にインプットできることが嬉しい

時速36kmの愛で、私は私の人生を溢れさせたいし

例えば今、せーので言葉を失くしても、私は私の好きな人たちと、ただずっと笑いあっていたい

死にたいけど幸せを感じてもいいよって、幸せでも死にたいって思うのはしょうがないよって、

時速はずっと、私にそう言ってくれている

安心する

 

他の人の死ぬほど好きなものが私に刺さらない様に、他の人に紹介しても時速を好きになって貰えないのも当たり前で、それでも私はその人を愛していたいと思う

cakewalk、私のめざしたい愛はこれだなって思う

恋人と一緒にいるようになって、ラブソングの解像度が変なふうに上がる

これから私が愛を言葉にする時、そこにはきっと時速36kmが含まれている

好きでいさせてくれて、ありがとうね

 

 

「teto」が固有名詞として若手バンドの歌詞に出てきて、なんかゾクゾクワクワクしちゃったり、

ダダダとして「光るまち」の音源が出て、イントロから先に進めなくって、

お前から捨てたくせに、せめて思い出の曲くらい私に置いていけよ

というわけわからん黒い気持ちも抱えている

 

 

もう本当は全部終わりにしたいけど、私は多分ほかの人より我慢強くて、

我慢強くてっていうのも多分違くて、

自分の人生への当事者意識が低いが故に結構どうでもいいって言うのがあって

 

何かやりたいことがあったり、なにかに熱心になれる誰かのことが、心の底では理解できなくて不貞腐れたりもしてる

 

 

私の最近の生活はこう

会社が新しく倉庫を買ったので、前までの倉庫はまるまる本社として残して、機材は新倉庫に行ったんだけど、

古くなった機材とかいらんものは全部置いていって、掃除もせずに、棚とかも使わなかったら捨ててねと、放り出されて

引越しでお金なくなって産廃業者は呼べないから、自分たちで捨ててねって言われて、一気に捨てられないからゴミ袋に囲まれて過ごす毎日で、

来る日も来る日も、日常業務の無い私たち少人数でゴミの山を片していて、終わりも見えないのに、定例会で進捗がないことをチクチク言われて、

なのに無情にも、取引先からの移転祝いのお花はこっちのゴミだらけの旧倉庫に送られて、何にもめでたくねーよ、クソがと

 

 

それとは別で、

上司がいないとまともに何も作れないくせに、私は生意気すぎること

コミュニケーションなんて、片方のせいだけで成り立たなくなることなんてないから、私も少なからず悪いよ

改善しようだとか努力しようともせずに、ずっと現状に不満ばっか言ってて、

自分の機嫌すら他人に押し付けようとするのも

それをもう3年くらい続けてることも全部全部、まじで自分が最悪で気持ち悪すぎて久々に息苦しい

 

 

上司と話すと余計なことばかりでめんどくさいから、って私を間に挟んでその面倒くささを私に押付けてくるやつらに、「私は伝書鳩ではありません」と思ったり「まあ社内の役にやってるならこれが私の仕事か」って思ったり、本当にもうずっと疲れている

惰性でここまで来れちゃう自分に感動すらもしている

とっととやめろ

 

 

幸せなことが多い最近だったので、反動でこの負の感情とのコントラストがえぐい

 

えぐいよ!

ポエム界隈

私の大好きなドラマに

「楽しい時間は短いね」

ってセリフがあって

これは認知症が進んでしまった父親との付き合い方に悩む主人公がかけられる言葉なんだけど

 

自分もきっとこの言葉とは無関係に生きていくことは出来ないんだろうな

 

姉は結婚式にボケてしまったおばあちゃんを呼びたくて、でも親族間の不和できっとそれは叶わない

主役が楽しくなきゃダメってことが共通認識じゃないの、意味わかんない

「お酒が飲みたいから無理」「産まれたばかりの孫に構いたい。面倒臭いから無理」「嫌いだから無理」じゃないんだよ

「連れてきてもどうせ覚えてないから」じゃなくて「姉の気持ち」を汲めよ

姉のために割を食う覚悟をしてよ

いくら私たち子供が考えようが、提案しようが、自分たちの都合で姉を悲しい思いにしちゃえる意味がわかんない

話し合えるんだから「〜は〜だと思うよ」って想像で話すのはやめて

いとこ家族のこと大好きで、一緒に旅行にも行ってた姉に「結婚式が終わったらもう関わりたくない」なんて言わせないでよ

 

 

 

楽しい時間は短いね

 

って思う度に、すごく悲しくなる

だからこそ楽しい時間は不貞腐れずに、ちゃんと素直に受け取ろうって思うよ

 

 

 

敵を作らず、何にも固執せず、穏やかに、健やかに、出来れば誰かと一緒に笑いながら歳をとって

そうやって死んでいきたい

意味の無い日記

夏だな

 

私、季節の中で1番夏が好きなんだけど、

正確に言えば、好き「だった」んだけど、

 

とにかく毎日が死を覚悟するほどに暑くて、肌が焼ける感覚がしんどい

 

会社のバイトくんに好きな季節はどれですか?って聞かれて、「夏」って答えたら、意外ですねって笑われたのを根に持っていたけど、別にいいや、もう好きじゃない
私が好きなのは「夏」ではなくて、1人でどこまでも行けてしまいそうな気持ちになる「開放感」だよな

暑すぎてどこにも出かけられなくなるのは本末転倒だよ

 

他のみんなにとっての夏は、一体どんな季節なの

本当に二季になったら私は嫌だけど、花粉症の人からしたら願ったり叶ったりなのだろうか

 

天気の話って「意味の無い会話」みたいな扱われ方をよくするけど、この暑さでするその会話には、さすがに意味しかない

 

でも特に書きたいことがないのに、1ヶ月にひとつは更新すると決めたので、天気の話を書いている

特に意味は無い

 

私は今、概ね満足している

チーズ

交わることがなかったからあんまり深く考えることは無かったんだけど、

ハンブレも時速も、一貫してずっと同じようなことをずっと歌ってくれているよな

 

しんどかったり、嫌だなって思うことは生きていればたくさんあるけど、それを無視するんじゃなくてちゃんと向き合った上で前向いて笑ってようぜって

やるせなさも愛そうぜって

そんな暮らしに、ハンブレと時速は寄り添ってくれるんだよ

 

なのにこれだけファン層が違うのってなんなのだろう

 

 

仕事帰りギリギリで荷物が預けられなかったので、後ろの方にいて

ステージ遠いな、ハンブレって遠くに行ってしまったな、なんてキショい古参みたいなことを考えてたら、あとから私の後ろに来た人が「近っ!」って喜んでて、なるほどねって思った。

近いんだよ。

 

曲が終わる度に「キジマ〜!」って叫ぶやつが横にいて、こういう人間に刺さるハンブレの曲って?と思ったけど、

逃飛行が始まった辺りでどうでもよくなっちゃった

ハンブレが東京に来る度にライブを見に行ってたあのころに戻ったみたいだった

 

ハンブレは今幸せなのだろうか

「絶対時速も見て帰ってね」って2回も言っていて、舐めたMCするなよ時速の企画だぞと思ったけど、もしかして2回も念を押さないと不安なの?ファンのこと、あんまり信じてあげられてないの?

 

私はキモイ、ただ単に、好き、だけじゃいられなくってごめんね

 

時速良かったなぁ

 

私の心にはたくさんの傷があって、

音楽だったり、友人、家族、その他色々なものが、色んな角度からその傷を塞いでいてくれて

塞いだ部分が重なったりするからより強固に、私は大丈夫になる

時速も、ハンブレだってもう私の一部だよ

仲川さんが間奏中、「全部あんたの曲だよ」って叫んでた

そう都合よくは歌われたりはしないんだよって言いながら、時速はそれでも歌ってくれ続けようとするんだよ、私みたいな人間のことも

 

時速は優しい

ずっと優しいよ

 

 

時速ってチューニング中のヒリヒリした感じとか、ベースがうるさくて地獄みたいな音だしてるのとか、定期的にライブを見続けたいバンドだなって思う

 

ポップロックって何年経ったって相変わらずアチアチだし、夢を見ているは原点にして頂点だけど

今日でStandinLifeがより強固に、私の中でデカい意味を持った

 

もう一部の音楽が人生になってしまっているからこそ、グッズを集めたり、人と楽しくライブにいったりは出来ないけど、

せめて1人で穏やかに聞き続けたいとは思うよ

 

 

仲川さんがハンブレを大好きで、時速への信頼度がさらに増した

 

 

春が死んでいくのを感じる

 

夏が来たね

新千歳空港だと思ってたのに

友達とかカップルがよくしているような、特に要件のない雑談の電話が昔からずっと苦手で(まあ要件があってお店に電話したりするのも苦手なんですけどね)

家族だろうが、何年も一緒にいる友達だろうが、恋人だろうが例外はなく

 

例えば面白くないのに無理して笑ってみたとき、対面ならばれるかもしれないけど、電話口だと完全に笑ったように思わせることができる

私は多分これがうまいが、これがまかり通るコミュニケーションが気持ち悪い

あと目の前に居もしないくせに、私の行動を制限するな、と思う

会った時に、話したかった話を沢山話したい

私の人生にはこれといって話したいことがそんなにない、まあこれはぼーっと生きてるじぶんが悪いんだけど、薄い話をずーっとしてるより、少しでも濃いものをいくつか話したい

電話が好きな人同士でずっと電話してろよと思う反面

誰かと繋がっている時間が少ないから私はこんな性分になってしまったのだと思う

 

恋人は私を大切にしてくれて、それを私の家族に話すと騙されてるんじゃない?って茶化されるけど、

こんなにも良くしてくれるのなら、騙されてたっていいな、と思う

 

恋人が出張へ行き、私は部屋を片付けて1人の生活へ戻る

恋人を大切に思う気持ちはそのままで、

1人のこの部屋での生活に、とてつもなく安心をする

1人で生きていくうえで、誰かといたい

 

どうせ、なんて思って本当のことを言わない癖みたいなのは本当に厄介で

意識しないと治せないね

たくさん話して、ちゃんと誠実でいたい