日記

日々を愛しています

普通

親知らずを抜いた。抜く前も抜いた後も歯が痛いし、痛み止めを飲むたびに情けなくなる。食事の時間が楽しくなくなった。はやくおいしく食べられるようになりたい。

クリープのライブが中止になった。一生延期にしててくれても良かったのに。払い戻しにいくの悲しいなあ。クリープハイプにはいつも感謝しかでません。好きでよかった。

一か月半ぶりに始まるバイト、何故かこれからはレンタルじゃなくて本屋の方の業務につくことになったよ。花いちもんめみたいな一位指名もらったのも無下にできないし、後輩に行かせるのもかわいそうだから了承したけど、今さらあの雰囲気になじめる自信ないな。転校したことないけどこんな感じかな。パートさんたちと仲良くできるといいな。あっ、もうレンタルの方の制服じゃないのかな。嫌だな。

大好きな俳優が謝罪会見をしている。私は今日も夜更かしをしている。また、昼過ぎに起きるんだろう。

取ってつけたような内容になった。ブログの名前を「日記」にしておきながら、その日に何があったかなんて到底わかりそうにもない感情ばかりを長らく文章にしてきた。

それほど私の人生は毎日が平凡で、何も起こらずただただ一日が終わるのを待っている気がする。

まあ20数年生きていればこれに当てはまらない日もいくらかは経験していてるんだけど。たぶん。

そんな時は決まって「今日は一生忘れらない日になった」なんて月並みに思ってしまうんだけどさ。今振り返ると、結局は、こんな出来事があったな、くらいにしか思い出せなくて。

あの時、これは私のこれからの人生に影響を与えるんだろうな、なんて強烈に焼き付いた言葉も、そう思った事実だけが残って一体それが何だったのか、私にどんな影響を与えたのかも詳細に覚えていないことのほうが多い

そう考えると、過去のことを覚えていられない、過去から何も学べない私は、何のために22年も生きてきてるんだろうか?

少し気持ちの悪い言い回しになってしまった。言い換えよう。

過去の自分の嬉しかったこと、良かったことについての記憶力が、周りの、私がこんな風に生きたい、と思っているような人たちより乏しい気がする

例えば、全く生産性のない1日を過ごしてしまった日、

コンタクトをするのも、ご飯を食べるのも、シャワーを浴びるのも、当たり前のように母に甘えてしまうことも、生きてだけでお金がかかることが申し訳なくなって、ベッドから動けなくなる時がたまにある。

私は自分が他の人間より幸せが少ないとは思ってはいない。ライブの予定があればその日に向けて生き生きとした生活を送っているし、飲み会に参加すれば帰り道は少し遠回りして歩いて帰ろうなんて思ってしまうほど満たされる。感情の沸点は低いからすぐ幸せになれる。ただ、その気持ちを大事にとっておけないから感情はすぐ下にも振り切れてしまう。長所も自信も、全部忘れてしまった大事な思い出と経験の中にあるはずなんだけどね。

 

今思うと「「普通」の人間でいること」にずっと囚われていたような気がする。

小学生の時はみんなと一緒に嵐を好きになり、中学に上がり周りのみんなが彼氏を作り出したから彼氏を作り、生きたい大学は落ちたけど浪人せずすべり止めの大学に入学して、周りの流れに乗って就活をしている。

考えてみると自分は文字通りの「思考停止人間」なんじゃないだろうか。そこにちょっとした選択肢はあったとしても。

自分は、周りとの平均をとるような、列を乱さないような、まわりから指をさされないような「普通」の人間なのか。

それとも、周りとの平均をとるように、列を乱さないように、まわりから指をさされないように「普通でいたい」だけのはずれなのか。

自分の中の答えはもうあって、でももうそんなことが分かったていまさら何の意味もなくて、これから死ぬまでずっと、上手に「普通のふり」をするんだ。たぶん自分はそれが得意だし、心配は全くない。

なんか自意識過剰の気持ち悪い感じになってしまったけど、もう今までもさんざんそんな感じだったのでもうなんでもいいや。日記をネット上にアップしてる時点で相当きもいし。

どうせ自分以外誰も読んでないし。