日記

日々を愛しています

お昼休み

日記という建前だけど、それをネットで公開してる時点で、少しは「名前も顔も知らない誰かに私をわかって欲しい」と言う気持ちもある。

Twitterだってそうだ。

でもどうして相手が歩み寄ってくれると「お前になんてわかられてたまるか」の気持ちになってしまうんだろうか。

 

一人暮らしの家が決まって、久しぶりに、「いやあ、こんな人間がこれからずっと生きていてもな」という気持ちになった。

親は実家にいてほしそうだったのに強引に決めた一人暮らしは、私にとって大きな前向きな決断のつもりだったのだけれど、いざ決まると、これからずっと私は一人で生きていくのか。という不安がずっしりきた。

やっていくしかないよな。現実的な話、先に親は死んで、どっちにしろ1人になる。まだ失敗しても助けてもらえるうちに、早いうちに1人で歩く練習はした方がいい。

3分の2くらいの確率で体調が悪くても、人を愛せないから人から愛されないのも、そんな人間でもやっていくしかないよなって、生きていくしかないよなって思ったんだよ。

でも結局私はずっと不安で、ずっと誰かに助けて欲しくて、ずっと泣き出しそうだよ。

 

仕事で嫌なことがあったり、楽しみにしてたものがなくなったり、別れがあったり、それでもなんとか自分の幸せを見つけて生きて、音楽とか映画とか、本とか、そういうので何とか麻痺させて生きて、その先に、死ぬ前になにか気づきがあったらいいな。

全然、さっさとなにか死にたくないなと思う何かを見つけてもいいんだけど。

 

 

「普通」が嫌なくせに、「普通」に事あるごとに頼ってきた。

だから今の自分がみんなと同じように、恋愛をしてないことにたまらなく不安を覚える。

「普通」を押し付けられることが大嫌いなはずなのに、どうにか当たり前かのように「普通」を「幸せ」と思えるようになりたい。きっとそれが一番楽で、楽しくて、わかりやすい。

恋愛リアリティショーに熱中している両親を見ての感想でした。

 

 

男女平等なんちゃらの話

ずっと管理職に女性が少ないから、女性を増やそう!に違和感があって、

ただ、優秀な人がいたら男女関係なくその人を偉くすればいいのにって思ってた。それで男性が多くても、女性が多くても、それは関係ないなって思っていた。

数を重視して、女性をよいしょして、もしその女性が仕事が出来ない人だったら次に続かないし、ああやっぱり女は使えないなって思われるだけだし。

でも今のこの社会でずっと生きてきた私たちには、最初はそれに慣れるための荒療治的なパフォーマンスは必要だよねとも思う。

仕事のできない管理職男性だってどこかにいるだろうし、究極、最終的に仕事のできない管理職女性だっていてもいいだろ。

 

 

もういっそ死んでしまった方が良さそうな世の中で、私はどうしてもずっと笑っていたいのです。