日記

日々を愛しています

イタタタタ^^;

「サイダーのように言葉が湧き上がる」

まずタイトルが好きだ。劇中でさらっと出てくる俳句だけど、そのまま捉えていいなら単純明快で爽やかで清々しい。最後のシーンのチェリーくん、まさにそうだったもんな。

俳句、もしかしたら私が思っているよりもポップなものなのかもしれない。チェリーくんの俳句、実際の高校生が作ったものだって知って、とても良いなと思う。「フライングめく」ってことば、可愛すぎる。私の頭の中がカラフルな水玉でいっぱいになった。

「誰かに待ち望まれてる訳でもないSNSに」「ひとりぼっちで」「頭の中に浮かんだ文章を投稿してる」チェリーくんをみて、「あ、私じゃん」と思ってしまった。

といっても、私のは文字数の制約もなくただグダグダ書き連ねてるだけだけど。

限られた文字数で工夫して、読み手に伝えたいことを伝えるのってすごい。「山桜」と「出っ歯」の俳句を聞いて、その短い文で言葉遊びだって出来てしまうのか、とワクワクした。

画面もずっとカラフルポップで、

アニメの、「現実離れしてても違和感がなく盛り上がれる」という最大の利点がガッチリマッチしてたな。まあ私はもうこの、「青春」の中に居ない年齢になって、今の学生の「現実」「リアル」を知らないわけだから、ひとえに「現実離れしてる」とかも言えないんだけど。

とにかく、ド直球で爽快、恥ずかしくなるくらい「青春ど真ん中」みたいな物語だった。

最後のシーン、私は自分の感情を出そうとすると涙が出てくるってなんか昔書いた気がするけど、他人が、しかも実在しないアニメのキャラクターが、コンプレックスを乗り越えて叫びまくるシーンをみて泣いてしまった。こんな剥き出しの感情にさらされる事って、現代社会でこれっぽっちもないよな。別にそれが良い悪いじゃなくて。

コンプレックスって他者がいるから存在するものだと思うけど、それを克服するきっかけになるのも他の人の存在だよな、なんて他人から逃げまくってる私が書いてもしょうがない。私はあそこで車を降りなかったチェリーくん。

パンフレット、とっても可愛いな。買えばよかった。

珍しくなにか作品に対して書いた。とても素敵な映画でした。

 

私は、私がこのままでも、私の好きな人たちが全員笑ってくれてたらいいと思うし、好きなバンドが歌って演奏しててくれればいいと思うし、みんな幸せでいてくれればいいと思う。無責任に。

でも誰かの何かになりたいなとも思う。こんな無責任なのに。

 

3連休、精神衛生にとても良い。

 

私は23になってもまだ、私が可愛い。

自分の感情は大事にしてあげたい。(自分の感情を優先したい。ともいう)

誰かのために自分の機嫌をとるのは苦手だけど、自分のために自分の機嫌をとるのは上手いと我ながら思う。

鬱々としたどうしようもない負の感情も、こんなラッキーハッピーでいいのか私なんて思ってしまうような正(?)の感情も全部が私だし。ハッピーな時は負の感情を抱きしめてあげればいいし、元気がない時はハッピーなときがどうせまた来るなって気楽に沈んでいればいい。

それでも急にくる、制御出来ないネガティブには没頭が効くって学んだし、それでもどうしようもない時はただ単に、寝ればいいだけっていう時もあるというのも学んだ。ちょうど昨日の夜中、「こんな世の中ならさっさと死んでもあんまり変わらない」と思ってたのも寝れば消えていた。私はあの頃から着々と成長してる。少しは利他的に生きることができ始めている。好きな人限定だけど。

外国の強いスポーツ選手がショートカットで批判、みたいなニュースツイートに、「これは女性は怒っていい」みたいなリプを見つけて、まきこまないでほしいと思う。

女性全員が怒ってるみたいな言い方して、余計な煽りをしないでほしい。と、ショートカットの私は思う。知らん。ショートカットのスポーツ選手が批判されても、同じショートカットの私が批判されてるわけじゃないし、と思う。

私は私の中にいない他人を思いやれるのに、まだまだ時間がかかりそう。

Twitter見てると、他人の言葉が聞こえすぎて疲れてしまう。だからこそ言葉には気をつけているつもりだけど、私に関係ない知らない人の言葉に関心が向かない私の言葉は、関係ない知らない人を傷つけたりしてるのだろうか。

 

もうTwitterでしか繋がってない人達がツイートをしなくなった時、その人は確かに生きていたとしても、私の中のその人は生きていない状態と一緒なんだよな。逆に私のTwitterを見てない人たちのなかで、私は生きていないんだって事なのか。ちょっと怖くなった。