日記

日々を愛しています

拗れていく話

土曜在宅出勤+日曜深夜に現場のバラシに呼ばれるかなりイレギュラーな週末

生理中の心にはかなりクるものがあって、昨日の夜久しぶりに最悪の気分になった。らしくないイライラを人にぶつけてしまった。

朝起きてもまだ体も心もバキバキだったけど、何とか心だけは復活させたくて、換気して、掃除機をかけて、トイレと洗面台を掃除して、10時にパソコンを起動する。

相変わらず変な仕事をしていて、お金もらってるのも不思議。片手間でこれを書いている。

お昼休みには洗濯をする。これで心は完全に復活するはずだ。今のターンの私に必要なのは、非日常ではなくて生活をすることなんだなと実感する。

一人暮らしを始めてから、「生活をし続けろ」という半ば強迫観念のようなものに突き動かされて、毎日同じ時間に起き、3食を必ず摂り、洗い物はその日のうちに片づけ、洗濯も計画的にしている。面白味もない、そんな生活を、ワンオペ作業ゲーみたいな感覚でこなしている。

 

非日常は非日常であるから良いのであって、それを日常にしようとしてしまうから全てがうまくいかなくなるんだよ

メモアプリに先週の私の「終わり」の感情みたいな、呪いみたいな日記があって、あんなにつらく苦しかったはずなのに、過ぎてしまえばどうってことなくて、感情って良いものも悪いものもあんまり記憶に残らないなと思った。雑念とか意味わからんもんに振り回されている私超かわいい。

 

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「人間は解釈をやめろ」という言葉を見て、なるほどなと思った。ネガティブの原因ってこれだよな。私は暇であるが故に飽きもせずに解釈を繰り返し、落ち込んだり、消化したかと思えばただ拗らせたまま飲み下してしまったりしている。

まあそれでもやめられないんだけどね。私はこんな自分が結局好きだよ。どんどんひねくれて、どれがまっすぐだか分からなくなって、ややこしくなりすぎてどうしようもない。結局、後で後悔しても、のめり込んで拗らせているときが1番楽しい。

 

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次の日朝から遊ぶ予定で友達の家に泊まりに行って、友達がもうちょっとって言ったまま1時間以上二度寝して、起きて一言目が「ごめん5分だけtiktok見るわ」だったの、本当に私と君は違う人間なんだなと思って面白くなった。私は私で友達を起こすこともなく自分だけ身支度を完璧にする嫌なやつだったな。

 

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そりゃ根っから明るかったらそれはそれが1番いいのは確かなんだろうけど、それは変えられないから「根」なわけで

「暗いまま、そのままで、笑ったり踊ったり、ひねくれたりひねくれず真っすぐだったり、全部そのままの自分でできるよ」って人たちが好きだ。

ハンブレもFoZZも私の中ではそんな感じなんだよな

 

メルカリでFoZZのCDをあるだけ買った。たぶん運んでくる途中で割れたんだろうけど2枚くらいケースがバリバリで、TSUTAYAでバイトしていた頃を思い出して嬉しくなっちゃった。かなりご機嫌なやつ。

当時のライブのチラシが入っていて、このときは小学生かなんて想像する。もっと早くFoZZを知れていたらな、なんて腐るほど思っていたけど、高校生以前の私にはささらないだろうなと思う。然るべきタイミングというものがある。あるよ。

過去のインタビューとかを見て、当時の想像をするしかない。拗らせすぎない程度に。

 

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自転車を修理に出したら、ペダルも軽くなったし、スピードも出るようになったし、変な音もしなくなったし、今の私ならどこへでも行けるな、という無敵の気持ちになった。1000円くらいで1番重い変速でも座って漕げるようになった。課金で制限を解除したみたいで面白い。新しいシュッとしたかっこいい自転車を買うかなんて思ってたけど、まだまだこの子に乗れそうだ。嬉しい。色が最高にかわいいの。

 

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私が1人で「生活が楽しい」とか言っているうちに、他の人が他の人と生きている。

私も恋愛だって結婚だってしたいけど、私は無責任にいつまでゲラゲラ笑っていたいし、それは世間一般が想像する幸せ・安定・責任の代名詞「恋愛」「結婚」に求めることではないのは分かっている。今の私の中で、恋愛と結婚は結びつかないし、そこに性欲だとかそういう自分の欲求を持ち込むのもなんか違う、恋愛も結婚も性欲も同時に成立はしない。

ただ、上品に軽やかに生きたいを思ってもいるので、こっちの気持ちが勝つときが私の第3章の始まりだと思う。私先生の次回作にご期待をする。

 

結局なにかを犠牲にしないとなにも得られない、なんてことはまだ認めたくないわがままなだけなんだけどね。

 

 

 

昨日の夜、

死にたいなとかはないけど、明日スッと消えるように死んでもいいかなってここ数年ずっと思っているな

とか思っていたのに、まだまだ私は未来の私にむけてこれを書き続けるだろうなと思う

 

結局死ぬまで生きるのよ